【恋愛相談ask500件到達記念・恋愛相談対談企画】

教えて恋愛対談おじさん!(前編)

 本当の本当の大マジメに、対談してまいりました。

(経緯やコンセプトなどについては、一応こちらをご参照ください。)

 

 「恋愛相談ラジオ」という発想から始まり、テキストベースの記事にすれば機材もいらないし放送事故を避けられるぞ、という変遷を経ているうちに、恋愛相談askが500件に到達して動き出したこの企画。

 予想以上におたよりをいただけたこと、そしてなにより、こんな思いつきに乗っかってくださる対談相手の方がいらしたことで、なんとか形になりました。まずは冒頭で御礼を申し上げておくことにして、よろしければ以下、どうぞお楽しみください。


■ 登場人物

綱手 藍(つなで・あおい)さん


都内の大学四年生。鼻歌を歌う人は臆病ものといいますが、歌詞が覚えられないだけの鼻歌うたいです。八九寺真宵さん一神教徒。愛は諦め。(ご本人による自己紹介)

きしょう@daikouzui

 

社会人3年目。生きづらい歴は25年目。恋愛相談をいただくようになってもうすぐ2年。冗談交じりで「おじさん」を自称しているうちに本当におじさんになっていっており驚くやら悲しいやら。


■ まさか実現するとは思っておらず

お店はあおいさんに紹介していただきました
お店はあおいさんに紹介していただきました

今日はよろしくお願いします。

よろしくお願いします。いやはや本当にここまでくるとは。しかもけっこう展開が早くて驚きでした。

よくおたよりが集まったというのが正直なところで。ありがたいばかりですよ。

なにより、対談するにしたって相手が「あおいさん」とかいうほとんど得体の知れない人で、それなのにおたよりをくださった方がいるっていうのがすごい。ふかぶかお辞儀ですよ。ありがとうございます。

公開できるパーソナリティがあんまりないからって、名前も対談が決まってから考えたんだもんね(笑)。

それではさっそくだけど、おたよりにまいりましょうか。

まいりましょう!

せっかくいただいたおたよりは全部紹介するんだし、いただいた順でいきます!


■ おたより1通目:諦念主義者の「理解」とは?

それでは記念すべき1通目、いきましょう。


好きな人を理解することもされることもできないことを諦められますか?



む。

これって、この人がこうした悩みを抱えているとして、どういう状況なのかな?

「好きな人」って恋人なのかそうじゃないのか。いずれにしても、でも「する」「される」を両方語れるくらいだから、それなりに親密ではあるのか。

私は、心情としてはけっこうわかる気がしてるんだけど。どうだろう。

関係性として、恋人かそうじゃないかって、きしょうさんの中で重要?

自分の中で重要というよりは、重要だと思う人が世の中には多いだろうな、という感じ。

なんか、僕はいわゆる倦怠期みたいなのを想像したから、ってのもある。「恋人ができました!」みたいな初期のほわほわ〜っとした感じがなくなって、地に足が着いて、いろいろなものが見えてきたときにぶつかる問いみたいな感じでイメージした。

ふうむ。そこまで具体的なものを想像したわけじゃないけど、一応答えみたいなものは私の中にあって、「諦めるけど諦めない」。いますぐ何かを求めたりはしないけど、10年くらいのスパンで、やっぱり諦めない。

けっこう長い時間をかけて、自分の中に生まれる変化も含めてすり合わせていければいい、そうして理解に至っていけばいい、みたいな?


(ここであおいさんが注文したカレーがくる)



おいしそうでした
おいしそうでした

好き勝手に食べてるけど気にしないでしゃべっててください。

あおいさん、ちょっとばかし自由すぎません?

お昼食べてなかったんだもん。

……でもなんというか、話戻しますけど、「理解」ってなんなんだろうね。

それがそもそもいちばん無理なんじゃね、ってのはあるよね。どこまでのことを言ってるのかはわからないけど……難しいね。自分なりに答えるだけなら簡単だ、って思ってたけど、質問のスタンスにどう向き合うかとか、それに情報量も限られてるし。

これぞaskだ、って感じだねえ。結局は自分の思考にそって、正直に答えるしかない。

私からひとつ問題提起をするとすれば、「理解される」ことを相手は望んでいるのかどうかは、理解されたいという自分の思いとは全然別のもので、相手は望んでない可能性も大いにあると思う。だから少なくとも長いスパンで考えて、そういう「そもそも」的な部分から、少しずつ知っていかなきゃ、って思うのね。

いつか当然、内心がわかる、わかりあえる、と思っているのなら諦めなさい。我々もひとまずは諦めるしかないと思っています。的な?

「諦めるしかない」、諦念主義者だ(笑)

……正直ね、私がプロフィール文で「愛は諦め」とか書いたからこういうおたよりが来たのかな、ってけっこう悩んだんだよね。

最初のおたよりだったしね。

(きしょう註:おたよりaskは対談前からこまめにあおいさんと共有していました)

愛は諦め……。

でもここでいう諦めって、現状を受け入れることだから、言い換えるならある意味では包容力みたいなことでもあるよね。

そうそう、ほんとそう。

一般的に使われる「諦め」とは違うよね。

何かの課題に対して諦めるのと、対人関係で諦める、ってぜんぜん違うよね。

相手のあることだもん。

欲望をまるっと否定するってことじゃないんだよね。すぐ答えを求めない、そのための態度ってだけで。

どうしてみんなすぐ答えを求めちゃうんだろ。

不安なんだよ。宙ぶらりんだともやもやする。永遠を誓うためには恋愛は短すぎるし、そもそも人生は短すぎる。

それを自覚しているつもりの諦念主義者としては、「諦められますか?」って聞かれたら「諦められます!」って言いたくなるけど、そういう問いの立てかたをされて、そこに引っかかっていろいろ言い合っている時点で、そもそもぜんぜん諦めるなんて無理なのかもしれない。

よくいわれる意味での「諦められない人」って、すぐ答えを出したがってる人だと思う。

私はそことは少し違う意味かもしれないけど、やっぱり諦められない人なのかも。感情と理性ってぜんぜん違うし。私自身は、諦めない主義者なのかもしれない。

うーん、つまり、「理解する」なんてのは無理だし、少なくとも大変時間のかかることであることは確かで。そしてこの文脈でいう「諦める」って2種類くらいあって、好きな人に対して、包容力としてある程度諦念みたいなものをもって接することは必要だけど、自分が本当に求めているものとか、根本的な態度とかを諦めるのは無理かもね、と我々も思います、という感じかな。

そうそう、よくまとめてくださいました。まさにそういうこと、って感じ。

え、ほんとに大丈夫?(笑)

でもまあ、思ったことは話したかな。記念すべきおたより1通目は、このあたりで。


■ おたより2通目:心なんて一生不安さ?

2通目、いきましょう!


お互い初めて異性と付き合う形で、今の人と数年いっしょに過ごしています。自分的にはこれ以上性格の合う人は(いないとは言わないまでも)なかなか出会えないんじゃないかなあと思うのですが、「井の中の蛙みたいなものだよ」と言われたらぐうの音も出ないという。一人の恋愛相手しか知らないことをお二人はどう感じますか?



これね。

最初に言いたいことを正直にしゃべると、付き合った人数は関係ない。

とりあえずは結婚とかじゃなくて、恋愛という軸で話をする以上は、他人と比べて相対的に評価するんじゃなくて、絶対的に評価しなきゃダメ。あなたが好きだと思うならそのままでいいし、井の中の蛙で何が悪いくらいの度胸が要ると思う。

でも、「井の中の蛙だ」って言われたことで、「あれ、他の人もいいんじゃん?」って思っちゃうくらいの気持ちなんだったら別れてしまえ、以上!

なんか、僕が飲み屋でしゃべってるみたいな感じだなあ。(笑)

まさしく僕もそういう印象です。

きしょうさんと私は思考回路似てますからね。

でもひとつ難しいなと思うのは、これ「井の中の蛙」って実際に誰かに言われたのかどうかはわからないという。少なくとも文章からは読み取れないよ。言われたらぐうの音も出ない、としか書いてないもん。

なるほどね。あ、そうですか、えー……。


不安なのは、このひとのパーソナリティにも依っているのかもしれないけど、まあわかるよねえ。不安なぶんは、周囲が応援してあげるしかない。

相対的な軸がちょっとでもあれば安心できるのかな?

一発くらい浮気しちゃえばいいんだよ。誰もとがめないよそんなの。

それはある意味そうかもしれないけど、書いてある通り、「お互い」最初の恋人なんだよね。

相手も同じ状況で逡巡を抱えているかもしれなくて、その中でそれはあまりにもハードル高いよ。

でも、「不安に思ってる状態は相手にも失礼」ってのはよくよく思っておいたほうがいいと思う。相手との関係性を、「好きなのかな」って疑うのは失礼。そういうのって、相手にも伝わるし。

不安に思ってない状態、ってあるのかな?

うーん、あ、そっかあ。

不安に思う、ってどういうことだろうね。わからなくなってきた。

突きつめて考えれば、「不安なのは相手にも失礼」なのかもしれないけど、自分で意識しちゃうと自分を押さえつけちゃうことになるから。

だからある程度は「好きなのかな」って疑っておいて、それを確認していかなきゃいけない。

そしたら、最初に私が言ったことがすべて、ってことになるのかな。

でも、おたよりをくださったこの人は、救われないよね……。

それは、そうだろうね。

そこを解消してほしかったんじゃないの。

そこまでの力は、少なくともインターネット越しの僕らにはないよ。

常時何かが不安なひとっているじゃん。僕もそのカテゴリの人間だし。だから、しょうがないって思っちゃう。

常時何かが不安、かあ。

つらくなったら、またきしょうさんにaskすればいいよ!

ほんとそれ。自分で言うのもアレだけど。

実体をともなわない不安の波がきたら、askの形で不安をまとめたり、僕の長いだけの回答を読んでいるうちに時間が過ぎて波が去る、みたいな感じでいいんだと思う。

askごときで具体的な解決策は提示できないし、正直責任もとれないからそんなことしたくないし、だけどそれなりに誠実な質問があって、それなりに誠実な答えがあって、そうやって全力で、やりすごすべき時間を消費できるってことには意味があると思ってる。

きしょうさんは優しいなあ、なるほどにゃあ……。

こんな感じで、おたよりにお答えしたことになるのかな?

それもよくわからないけど、僕じゃない人も僕と同じような感じで言ってるってことにはそれなりに意味があると思う。(笑)

なんにせよ、言語化するのは重要だね。

あとはね、ほかの異性に「この人いいかも」って思うのは、自然な感情。

「好きな相手」は何人いてもいいと思う、それは内心の問題だから。

極端に言えばそういうことでしょ。

当たり前のことだと思うけどね。

そうだね。

でも、例えば会社の先輩とかにそういうことってあけすけに言えないじゃん。世間ってそういうことで。人間ひとりひとりの当たり前が、当たり前じゃなくなって動いてる。

まったく、めんどくせえなあ世間ってのはよう! って感じでしょうか。

そういうことなのかな。

また何かあれば、おたよりなりaskなりをいただければ嬉しいです。

それね。(笑)


 前編はここまで。中編、後編と続きます。

 「手厳しいあおいちゃんと優しいきしょうさん、って構造になりそう」と豪語していたあおいさん。次回でついにブチ切れる!? ご期待ください。

 

 中編はこちら、後編はこちらから。